開業前のクリニックで準備をしていた時、お昼ご飯を食べに国道大路の交差点にある本家うばがもちやに行きました。お蕎麦を注文して待っている間、テーブルの上に置いてあるうばがもちの写真が目に入り食べたくなったので買って帰りました。クリニックに戻り作業の途中に箱を開けてみたら、写真を見て想像していたのより小さくて、ちょっと残念な気持ちになったのですが、あっさりした甘さで美味しかったです。
なんでうばがもちは草津名物なんだろうと思って調べてみました。 1569年(永禄12年)、近江国守護の六角義賢が織田信長に滅ばされた際、三歳のひ孫を自身の乳母に託しました。その乳母が郷里の草津で幼児を抱いて草津宿を行き交う人々に餅を売り、養育の資として質素に暮らしたことから、乳母の誠実さ人々が感じていつの間にか「姥が餅」と呼ばれるようになったそうです。
草津宿で休憩する旅人達に姥が餅は親しまれ、「瀬田へ廻ろか矢橋へ下ろか此処が思案のうばがもち」などとも詠まれたそうです。「急がば回れ」の話は書きましたが、草津宿から大津宿へ向かう時、徒歩で遠回りの瀬田の唐橋経由を選ぶか、距離は短いものの冬場は比叡おろしのために船が進まず時間がかかるかも知れない矢橋経由にするかをうばがもちを食べながら思案したのでしょうか。
この乳母は長寿で84歳の時に、徳川家康にうばがもちを献上し102歳まで生きたそうで「尋ね来て見よ草津の矢倉娘育てた乳母がいる」という子守唄にも詠まれています。
400年以上前、草津宿で足を休める旅人を癒してくれたように、うばがもちの甘さは開業の準備の疲れを和らげてくれました。